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9.ひとり言

2011年6月15日 (水)

四島交流事業は...

6月8日に今年のビザなし交流ロシア側訪問団がロサルゴサ号で根室港に到着。

今回は、四島の青少年と同行教師等50名の訪問団で京都府を訪問し地元の高校生、中学生との意見交換等を行っています。

ビザなしサポーターたんぽぽのメンバーとして訪問団員の出迎えに根室港へ行ってきました。

この船には札幌市で日本語の長期研修を行う10名のロシア人も同船。何度か交流会でお会いした方や、四島訪問時にお世話に方々もおり、いつも通りの再会の場でした。

そんな中、青少年の訪問団員がおそろいのTシャツを着用して下船してきました。日本の感覚ではさほど違和感のある光景ではありませんが、四島から来た子供たちがそろいのTシャツというのは初めてで、さらに、背中のプリントはサハリン州と書かれおり、胸にはサハリン州の地図(旗)がデザインされていましたので、驚きとともにその意味を考えてしまいました。

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他の出迎えの方々はさほど気にしていない様でしたが、私は、今回参加した自由訪問事業の入出域手続きの件、島へ上陸の際のお弁当の規制などロシア側の四島交流事業等に対する意識の変化を感じていたところでしたので、なんとも複雑な思いでした。

http://vs-tanpopo.seesaa.net/article/209184775.html

 志発島訪問の様子をまとめました。

14日の見送りにはいけませんでしたが、帰りは、デッキに立った子供たちがサハリン州の地図が描かれた旗を振りなが船が離岸したようです。

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私たち「たんぽぽ」のメンバーは友好の印に両国の国旗とエトピリカをデザインした旗やうちわを帰港するロシア人訪問団員に渡していたこともありますが、今回のTシャツやサハリン州の旗の意図には、近年のロシア政府の領土問題に対する「四島は我々の島」、「領土問題は存在しない」といった強硬な姿勢を感じてなりません。

領土問題は国家間の問題、交渉事であり、四島交流事業は四島在住ロシア人との相互交流を通じ返還運動を側面的に支援することが目的と位置付けられているわけですが、20年目を迎える交流事業、そのあり方を考え、見直す時期にきていると思います。

2011年4月 5日 (火)

新病院建設が進む中で…

4/4 父を連れて市立病院へ行ってきました。隔月で定期検査を受けています。朝9時の予約でしたので駐車場の心配もあり8時45分に病院に着く様に準備をして病院に向かいました。病院横の駐車場に2台分の空きがあり車をとめることができました。

父の通院介助をするようになって1年以上経ちますが、予約診察の場合、予約日の前日までに(一週間以内)検査を済ませておけば、受付から会計まで1時間程度で済みます。

薬は院外処方ですから、薬局で処方箋を受け取り、その場で調剤薬局へファックスで依頼しておけば、調剤薬局でも殆ど待ち時間なく薬を受け取ることができます。

検査も午後の時間帯に行けば殆ど待ち時間もなく30分程度で会計まで済んでしまいます。

今は、この様に予約診療が受けられる診療科は待ち時間の問題はほとんど解消されています。

古い話ですが、私が市立病院の事務局次長として市立病院にはじめて勤務した平成12年6月当時は、予約制もなく、薬も全て院内処方でした。

診察は受付順でしたので、早い方は朝5時前から診察券を受付箱に入れるため病院の玄関が開くのを外で待っていました。診察が順調に終わっても、料金計算が手作業のため計算に時間がかかり待たされ、それが終わっても、料金計算の際に処方箋を基に薬の料金計算もしますので薬局に処方箋がまわるまでに時間を要する為、薬を受け取って病院を出るまで一日がかりという状況でした。

父の診察介助をしながらしみじみ、当時、てんやわんやの中で進めた「待ち時間解消」作業を思い出しました。

私自身、病院勤務の前は市の電算システムの構築に10数年携わっていましたので、当時、患者さんから一番クレームの多かった待ち時間解消のための業務分析を行い、当時の旭川医科大学の先生方とも相談した結果、オーダリング・システムをベースにしなければ待ち時間の解消は難しいと判断しました。

丁度、レセプト電算システムの更新時期でもあり、患者さんの待ち時間解消、患者サービスの向上という目標もはっきりと見えていましたので、医師やコメディカルの協力も直にいただけ、オーダリングシステムをベースとした医療情報に切り替えることになりました。

しかし、システムの開発、運用には時間がかかりますので、システム化と並行して当時利用していたレセプト計算システムをベースに院外処方をはじめることで薬局での待ち時間の解消を図り、予約制については予約センターをつくり(今の放射線科受付前)手作業で内科の診療予約からはじめました。

平成13年9月から内科の再診患者の予約制をスタート。

院外処方は、14年2月から外科など一部の科で実験的にはじめ、14年4月から全科で院外処方がはじまりました。

同時進行で進めたオーダリング・システムの導入も、院内の関係部署が全員参加して、仕組み作りを進めましたが、予約オーダーについては、システム化を意識しながら手作業の仕組みを医師や看護部と一緒につくりましたので、オーダリングへの切り替え、検査予約オーダー等への拡大も順調にいきました。

出来てしまえはそれが当たり前になってしまいますが、仕組みを変える作業には相当のエネルギーが必要です。

新病院建設も3月3日安全祈願祭が執り行われ工事もはじまっています。新しい建物を機能させるための様々なシステム作り(コンピュータ化も含め)を同時に進めなければなりません。

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※今日の工事現場の様子(ATMコーナーから)。霊安室や裏口もすっかり撤去されています。

来年10月には新病院が開院する見込みです。期間がありませんので心配です。そんな中、事務部門の課長職が全員異動という4月1日付けの人事も私には理解できません。

考えあっての判断とは思いますが、管理職に求められるノウハウも病院は一般行政とは異なり、医療に関する知識、経験も必要です。

今年から来年の開院時、そして病院運営を安定させるまでの仕事のボリュームを考えると非常に心配です。病院のリーダーたる管理職には、一年でも多くの経験を積ませる必要があります。

異動、昇格された管理職の方々そして職員の健闘を期待したいと思います。

2011年1月17日 (月)

このまちの為に

先週12日、現職財政課長の突然の訃報に言葉を失ってしまいました。

彼は市役所時代情報システム構築を共に行った大切な仲間(戦友)でした。

根室市は平成元年2月1日に住民情報のオンライン化がスタートしました。
その後、住民情報、税務情報、給与情報のオンライン化を次々と行い、平成6年度から3カ年かけて財務会計システムのオンライン化を進めました。

彼とは、丁度、この財務会計システムの開発の時期に一緒に仕事をしました。

当時は、各自治体が独自にプログラム開発をしていた時代です。
市によってはプログラマーまで養成している所もありましたが、根室市はプログラミングは外注し、それ以外の部分を職員で対応していました。

システム開発は、プログラムを作成する前のパッケージソフトの検証、業務分析、システム化要件定義、プログラミング、完成後のプログラムのテストそして職員用マニュアル作成と研修、と多くの工程を経て本番稼働という流れになります。

ソフトの検証、業務分析、システム要件定義作業を行う為には、業務ノウハウが必要になりますので、財務会計のシステム化では予算、決算、会計部門別執行等々各業務の勉強も必要でした。

プログラミングを除く全ての過程を職員でやりましたので完成までの3年間はほぼ毎日残業でした。(その前の5年間も同じ様な状況でした。)

情報システム部門の仕事は言わば道具作りみたいなところがあり、システムは動いて当たり前、何時も期限に追われ、ミスは絶対に許されない仕事でしたのでプレッシャーも相当なものでした。

でも、市役所にはそれまでなかった新しいタイプの仕事ですから、残業をしていても当時の上司、人事担当部門には中々その中身を理解してもらえませんでした。

当時の情報管理係は、職員が行きたくないキツイ職場の一つと言われていましたので、そんな中で、一緒に働いた職員は私にとっては大切な戦友です。

あれから10数年が経過、一緒に構築した財務会計システムは今も当時のまま稼働しています。その間に、彼は、財政のスペシャリストとなり市の中枢を担う職員に成長しました。

昨年、第3回、第4回定例市議会予算審査特別委員会で、財政問題について議場でやり取りしましたが、戦友の成長を嬉しく誇らしく思いつつ、今後は、議員と職員という立場は違ってもこのまちに対する思いは一緒、財政問題で彼と対峙できるよう頑張ろうと心に誓った矢先でした。

あまりにも突然の訃報。悔しいです。

彼の志、思いを皆で繋いでほしいものです。このまちの為に。

私もその一人でありたいと思っています。

御冥福をお祈りいたします。

2011年1月11日 (火)

消防新庁舎に関することなど

昨日、本ブログに消防新庁舎に関するコメントをいただきましたので、本日、消防本部に事情を伝え、午後、管理職の方々からお話しを聞く事ができました。

お聞きした内容については、ブログコメントにまとめましたので、そちらも是非お読みください。

http://nimuoro.lekumo.biz/honda/2011/01/post-0be1.html

今回の新庁舎は旧市役所第2庁舎を利用した管理棟の整備でしたので、制約がある中で行われた改修事業であったと言えます。

現在の庁舎は昭和37年に整備された施設で、老朽化も進んでおり、本来であればもう少し早い時期に移転新築が必要だった施設だと思います。

消防庁舎を見せていただきましたので、現在の状況を一部紹介しますね。

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ニ階事務室横のトイレの天井

※新庁舎のトイレ部分は教育委員会時代のまま(改修していません)だそうです。

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食堂及び小上がりスペース 今は一度に14人がテーブルに着けます。

※新庁舎では、16人分の椅子が準備されます。

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仮眠室まえのロッカー。現在は、このロッカー室前で消火作業や災害出動後の濡れた衣服着替えができているそうです。

※新庁舎ではこのスペースは無くなります。(個室仮眠室前の通路で着替えることになるとのこと)

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8ベット×3か所の仮眠室

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一人ひとりのスペースは畳1枚より若干広いくらいです。

朝6時に起床し写真の状態に清掃するそうです。

個人のプライバシーは殆どない状況です。

※新庁舎では個室仮眠室になり17室が整備されます。

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お風呂は現在殆ど使用されていないそうです。

※新庁舎は1坪程度のユニットバス+脱衣所+シャワー室0.8㎡程度が1箇所

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これは、新庁舎に整備される予定の排気ガス排出システムのイメージ図です。

現在は、地下埋設となっています。

日々点検作業が必要であり、車庫の中でエンジンをかけて行いますので、この様なシステムが必要になるそうです。

以上、今日、見せていただいた消防署施設の状況です。


 根室市は港湾整備、市立病院存続のために多額の一般財源を投入せざるを得ず、その結果、多くの施設整備にしわ寄せがきており、図書館も旧公民館の改築施設であったり、体育館(各種大会を誘致可能な規格を有する)もなく、野球場には照明設備もなく、総合運動公園構想も当初の計画とはかけ離れたものとなったり等々公共施設に関しては充実しているとは言い難い状況です。

消防本部も国の緊急経済対策がなければまだまだ建設は先送りになっていたのではないでしょうか?

コメントにも書きましたとおり戸籍や図書館の電算化なども経済対策のメニューにならなければ整備は困難な事業でした。経済対策事業は雇用創出が目的の一つですので大量のデータを登録する要員人件費が補助対象になったためできた事業です。

ここまで我慢してきたことで、ほぼ全額国庫支出金を財源に事業ができたわけですが、財政力があれば、いや、病院経営や港湾整備に一般財源の持ち出しがなければ、もっと早く取り組めたはずです。(これが根室市の現状です。)

しかし、一方では、多額の一般財源の持ち出しが必要な事業があったために、行政改革等を通じて行政全体の節減対策が行われ、職員定数の削減、人件費の独自削減への取り組み、ゴミ処理手数料の有料化への取り組み等々言葉は悪いのですが臆病なぐらい緊縮型の財政運営を続けてきたことで、各種財政指標が道内各市に比べて、今は、良好な水準にあるわけです。

http://nimuoro.lekumo.biz/honda/2010/11/post-1d61.html

問題はこれからです。

ここ数年の投資的事業の拡大は経済対策(100%国庫支出金)によるものであり、従来の状態にもどれば、同じ規模の事業は出来ませんし、実施するとすれば一般財源の持ち出しが必要になります。

病院建設問題の混乱の原因は、公立病院耐震化臨時交付金措置(経済対策)を受けるた、申請条件、指定条件(H22年度内着工)をクリアするための期限に縛られ、最も重要な病院の機能や経営見通し等の判断を先送りにし、建設ありきで進めてきたことです。(そう思っていない方々もいるようですが)

今後の病院事業会計の経営状況によっては、これまでの蓄えもあっという間に底をついてしまいます。

病院の建設は既に始まりました。(今日の様子です。既に、裏口が取り壊され、旧精神病棟も一部取り壊しがはじまっています。)

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経営状況、医師確保の状況によっては、行政運営上これまでにない厳しい選択も必要になるでしょうし、更なる市民の我慢も伴うものと考えます。

この数年、今まで実施できなかった事業に着手できたのは、国の経済対策によるところが大きかったわけですが、こういった新たな、そして、突発的な流れに乗る時に、まちづくりの方向性を見失わない様、行政が大きな枠組みのPDCAをしっかり行い、市民に情報を伝える作業を怠らないようにすることが必要と感じています。

今日も一日色々と悩んでしまいましたが、今年も、皆さんと一緒に悩み、考え、アイディアをまとめ、そして、提案型の活動を続けたいと思っています。

頑張りましょう!

2010年12月19日 (日)

JR車中にて

昨日、朝一番のJRに乗り札幌に来ました。
今は、帰りのJR車中です。

iPhoneで大好きなピアノを聴きながら昨日のセミナーのことを思い出し、なんとなくブログが書きたくなりましたので…

今回の札幌は、以前から興味があったIT関係のセミナー受講だったのですが、集まった方々は主催者も含めとにかく若い。
IT業界を引っ張る彼らのエネルギーに圧倒されました。

帯広に本社を置きながら大手企業のCMSサイト構築で頑張る企業、札幌のソフトハウスの奮闘記等々刺激的な話がいっばいでした。

金曜日の予算審査でも病院のホームページの活用方法について意見を述べましたが、医師をはじめスタッフ全員で情報発信する様な取組みがあってもいいと思います。

どんどん新しい情報発信ツール、コミュニケーションツールができていますので、活用を考えるべきです。

業界だからかもしれませんが、プレゼンを行った全員がTwitterIDをもち、セミナーの様子をツイートする者等々、段々見えなくなりそうな事もありますが、ついていかなけれぱと(^^;;思っています。

コミュニケーションツールの地域での活用について考えてみたいと思っています。

車窓からの景色を観ながら、病院の事やら、議会の事やら、まちの経済、学力、IT等々色々な事が浮かんできますσ(^_^;)

頑張らなければ…

2010年11月 7日 (日)

元気を頂きましたので...

今朝のTV番組「新報道2001」(フジテレビ系列)で、今年6月三重県松阪市の2人目の副市長として全国公募で選ばれた東京在住の大学客員教授で経済アナリスト小林益久氏(47)の市役所での取り組みの様子が紹介されました。

10分程に編集された番組でしたが、民間と公務員の違いを感じながらも、短期間の間に自分のスタイルをアレンジしながら挑戦する姿に魅せられました。

先週二日間の議員研修会でも思ったことなのですが、改めて、まだまだ学ばなければ、大海(北の勝ではありません^^;)を知らなければと感じております。

そこで、小林益久氏のことをネットで調べたのですが、小林氏が就任のあいさつで引用された

「計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。」、

「摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。」
この二つの言葉(電通の10カ条)に、またまた、元気をもらいました。(単純で済みません)

折角なので、電通の10カ条なるものを調べてみました。

電通鬼十則

1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきではない。
2.仕事とは、先手先手と働きか掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3.大きな仕事と取組め! 小さな仕事は己を小さくする。
4.難しい仕事を狙え! そして成し遂げるところに進歩がある。
5.取組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは...
6.周囲を引きずり回せ! 引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地の開きができる。
7.計画を持て! 長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8.自信を持て! 自信が無いから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
9.頭は常に全回転、八方に気を配って、一部の隙もあってはならぬ! サービスとはそのようなものだ。
10.摩擦を怖れるな! 摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる。

Wikipediaで調べたところ 5.の「殺されても放すな!」はNever give up

頑張らないといけないですね!私達も... 

Never give up です。

2010年10月14日 (木)

「あいさつ運動」

10/12 長谷川市長の2期目就任に当たっての所信表明がありました。

・2期連続無投票については、山積する課題をオール根室で取り組むことへの強い期待の表れと感じている。

・四年間、市民や産業経済界との連携のもと「市民と協働のまちづくり」に全力で当たってきた。

・2期目は、どの様な逆境にあっても困難を克服し、「希望の根室」とするため、「産業の活性化と振興」を基本に「ふるさと再興」に向けた一体的な戦略を構築し実践とふるさとならではの「優しく安心して暮らせるまちづくり」が大きな課題であり、使命と受け止め、市政執行に全力を尽くす。

その上で、以下の7項目を市政運営の基本方針として表明しました。

1.「産業振興」と「ふるさと振興政策」の推進

2.「市立根室病院の医療体制の充実」と「建設の推進」

3.北方領土問題解決に向けた戦略的な環境づくり

4.「協働のまちづくり」と「行財政改革の推進」

5.保健・福祉の増進

6.生活基盤・環境の充実

7.教育・文化・スポーツの振興

その中で、「協働のまちづくり」には環境作りが必要であり、市全体での「あいさつ運動」や「声かけ運動」などのコミュニティの活性化や親子の絆、モラル、マナーの向上推進に取り組むと述べています。

「あいさつ」や「声かけ」が実際にできているか、また、市役所の中で徹底されているのかは疑問です。出来ていないから目標にかかげ向上に努めるということなのか?

3年前から四島交流事業の出迎えや見送りに根室港に行っていますが、職員の方からの「あいさつ」、「声かけ」はほとんどありません。道や四島交流推進委員会、元島民の方々は別ですが、私も、はじめのころはこちらから「あいさつ」をしていましたが、今は止めました。

所信表明の翌日、今年最後のロシア側訪問団の出迎えに港へ行きましたが、何も変わっていませんでした。

職員の方々は仕事、我々はボランティアですから、いやな思いをしてまでの「あいさつ」は御免です。(私も小さいですね^^;)

ちょっと過激に書きましたが、「あいさつ」をしようと言葉で言うのは簡単ですが、意識のないまま過ごしてきた者、それが身体に染み付いてしまった者が、実際にこれをやり続けるのは難しいことです。

「あいさつ」一つあるなしでいやな思いをすることもありますし、当然その逆もあります。

「あいさつ」、そして、「声かけ」は大切なことです。一人ひとりの心の豊かさがためされることです。

「おはよう」、「こんにちは」、「げんきですか」と当たり前のことが笑顔で言えるように頑張りましょう。

そして市役所や病院がどう変わるのか期待しましょう。

2010年9月23日 (木)

ブログに寄せられたコメントに対して...

>ebisuさんのブログが市立病院内事で炎上していますね。
>でも議会ではさっぱりのようですが。
>いずれにしても市議会の議題は何と抽象的なんでしょうか。

私のブログにこの様な書き込みがありました。私も読んでいるブログに関する話です。

病院の内部事情に相当詳しい方々数名がコメント投稿されている様です。

医師の退任に関しても様々な書き込みが行われていますが、真実はご本人にお聞きしなければ判りませんので、その様な機会を持ち合わせない自分がその事について述べることはできません。

しかし、今回、ブログという匿名性を生かした情報発信ツールを使い、これだけ多くの病院の内部情報が発信されたことについて、市、病院事務局は事の重大性を考えるべきだと思います。

荒川前院長、そして、9月末日付けで退職される竹内副院長、更には退職予定のある外科医師等の市の発表のタイミングがあまりにも遅すぎます。少なくとも院内で医師が患者さんに説明をはじめると同時に院内掲示、市民周知が必要なのではないでしょうか?

病院が説明しなくとも、受診された患者さんからその話が広がるのは当然です。荒川前院長の件では、議場でも市民周知の遅さは指摘しましたが、産婦人科医師の赴任中止なども含めいつも非常にぎりぎりの発表であったことは残念でなりません。

ただし、前にも書きましたが、医師の異動に関しては、相手方のある非常にデリケートな問題を抱えていることも事実ですので、様々なバランスの中で発表するタイミングを計らざるを得ない面もあると思いますが、ブログをはじめ医師のネットワーク等を通じて良い情報も悪い情報もあっという間に流れますので、真実を最善のタイミングで発表する姿勢が必要なのではないでしょうか。

医師招へいの問題で私達が忘れてはならないことは、平成18年度末に医師が3名にまで減り、現在の体制に復活するまでの間、北海道、札医大、旭川医大、姉妹都市の黒部市民病院、国立病院機構等々多くのご支援をいただいたこと、そして根室のためにと赴任いただいた多くの医師への感謝の気持ちです。

あれからまだ4年目です。全国的にもまだまた医師不足が続いており、そう簡単に潤沢な医師招へいができるわけではありません。そういった状況の中、今の状態はどうなんでしょうか?「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ようなことではだめです。あの大変な事態を決して忘れてはいけません。

私達市民一人ひとりができることは小さいかもしれませんが、先生方を大切に思う気持ち、暖かく迎え入れる気持ち、そして、別れる時も感謝の気持ちをもって見送ることはできるのではないでしょうか?

しかし、市民周知がなかった荒川院長、竹内副院長にはそれが出来ませんでした。こういったことが結果として「根室市民は医者を大切にしない」といった評価に繋がってゆくわけです。

新病院建設の問題についても情報開示不足が市民不安の原因です。私は1年間視点を変えながらこの点を指摘し続けてきましたが、市長は、今行っている以上の情報公開は必要なく、市民には、必要な情報を伝えていると答弁しています。(何度もこのブログで報告しています。)

しかしながら、肝心かなめの収支計画や病院改革プランの当初計画との乖離に対する修正内容もいまだに示されていません。

私を含め多くの市民は病院建設に反対はしていませんが、医師、看護師等の動向を含め病院の経営が成り立つかどうか、更には、現時点で10億円から12億円と試算されている繰出金を何時まで市は続けられるのか、更に繰出額が増える可能性があるのではとないかといった様々な疑問に対する説明が無いことに不安を感じています。(議会でも問い続けている事項です。)

これらのことが、ebisuさんのブログに様々な角度からコメントとして書き込まれたのではないでしょうか...

ebisuさんのブログは、何度も読み返しました。悲しいですね。私達は、この4年間なにをやってきたんでしょうか?

整備市民委員会が役目を終えたと7年間の活動に終止符を打ちました。議会も病特委の役目は終えたとして委員長より解散の提案がありましたが、意見が分かれ、各会派代表者会議で協議されることになっています。

先日も病特委理事会の報告にも書きました通り、私は、経営見通しが明らかになるまでの間は委員会を継続すべきと考えています。

議会に対するご意見は真摯に受け止め、反省し、できる限り努力していきたいと思います。

少し期間が空いてしまいましたが、10月上旬には4回目の活動報告会もやりたいと思っています。

皆さんのお話も聞きたいと思っています。

2010年9月13日 (月)

森山良子コンサートに思う...

9/12 13:00 前日にチケットの電話予約販売が行われた、チケット交換受付作業を手伝いました。 残念ながら売れ行きは芳しくなく、まだまだ残席があります。11/16(火)のコンサートですからこれからもう少しチケット販売を頑張らなければならない状況です。

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昨日、チケット交換をしながら考えていたのですが、チケットが売れない原因は、不景気の影響が大きいと思いますが、人口の減少、加えて高齢化による影響もかなりあるのではないでしょうか?

仮に2万人がコンサートなどに来ることのできる対象者と考えると、1%で200名です。1000人のホールをいっぱいにするためには5%の方々にチケットを買っていただく必要があるわけです。対象人口が減ればさらにその率を上げなければ集客は難しくなります。

今は、まさに悪循環です。集客力のある演奏家はギャランティも高く、そこを抑えると入場者が少なくなるわけです。釧路市であれば、市民の1%の集客で1000名のホールを埋めることもできますし、収支面でも成り立つわけです。

そう考えると、文化会館の大ホール1000席をいっぱいにする様なコンサート等の企画・招へいには、相当難しい判断が必要であり、また、リスクも伴うことになります。

今回のコンサートは事業協会主催の事業です。前にも書きましたが、事業協会の補助金は1000万円から年々カットされ、今年の市補助金は250万円です。

森山良子さんのコンサートは公演料、諸経費を含め700万円を超える事業費になります。 市補助金を除くと450万円のチケット収入が必要になります。6500円のチケット単価ですから、700枚(人)の入場で収支が合う計算です。

チケット収入が目標を達成できなかったり、他の助成金等の確保ができなければ、今年は、この1事業しかできないわけです。

公演料はプロダクションや興行先と当然交渉はしていますが、かなり高額で、500万円から1000万円、ミュージシャンによっては1000万円を超えるケースもあります。

景気の良い時期は、企業もメセナとして文化振興等への支援を行いますが、不況下では一番先に切られる部分でもあります。現況、こういった考えは、行政も一緒なのかもしれません。

私は、教育、芸術文化、スポーツの振興対策も人口問題を考えて行く上で重要なファクターであり、若い世代にとって魅力あるまちづくりを進めなければ、人口流失に歯止めはかからないと思います。もちろん、ベースとなる地域経済活動の活性化・雇用創出が前提ではありますが…

ちょっと話がそれましたが、この悪循環の流れの中では、若い人たちが希望するような演奏家等の招へいやイベントの企画は大変厳しいものがあると思います。

年に1公演しか企画できない事業協会の活動にも疑問を感じていますが、少なくとも、これまで、市民による企画立案・運営、そして、補助金の3倍近い事業規模を維持してきた、この活動は、地域の文化振興に貢献できたと思っています。

しかしながら、予算規模が4分の1になってしまったいま、厳しい経済状況の下、企業メセナへの期待も難しいわけですから、事業協会の活動拠点を小ホールに切り替える等、活動のあり方を見直す時期なのかもしれません。

まちづくり、地域おこしの中でも直接的な効果の見えない、こういった芸術、文化の分野の評価は非常に難しく、ともすると優先順位が下げられてしまいますが、じっくりと腰をすえて、思いを込めて、将来に夢をもって取り組んでいかなければならないことと思っております。

2010年8月17日 (火)

10日程ブログを更新していませんでしたが...

8/6以降ブログを更新していませんでしたが、この間もいろいろありました。

7日から11日まで札幌医科大学の古伝武道研究会の一行8名が合宿をするといって根室にやってきました。

札幌医科大学保健医療学部4年の息子が立ち上げたサークルで、4年生最後の年ということもあり根室に行こうということになったようです。

7日の夜、先発隊3名、8日朝6時過ぎに残りの4名が到着、息子を加え8名が我が家で休憩をとり、10時には青少年センターへ練習に向かいました。

聞けば、練習は8日のみ、9日は市内観光、10日は金刀比羅神社例大祭を観るという緩い?スケジュールでしたが、息子曰くお祭りや旬の魚介等々根室の良い所を知ってもらい、将来的にはこのまちに来てもらいたいからと考えたもので、このスケジュールがベストとのこと。

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※息子達の承諾を得ているのでこの写真を使わせてもらいました。

※若いっていいですね。大学を卒業して30数年経ちますが思わず当時の事を思い出しながら彼らの行動をみていました。

そんな訳で、7日の夜、先発組は、花咲ガニ、北海シマエビ、そして、札幌ではすぐに座れない「回転寿司花まる」その本店のパーティーメニューで歓迎会。

8日の夜は、明治公園に新しくできたバーベキューコーナーでジンギスカン。

9日の夜は、市内開業医宅の裏庭で海鮮バーベキュー。

ちょっとやりすぎの歓迎をしてしまいました。

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※9日の夜野外バーベキュー。お祭りの御囃子も聞こえなんともぜいたくな一時に!

10日の金刀比羅神社例大祭には全員が「こんな規模のお祭りは観たことがない」と驚いていました。

また、我が家では全員を泊めることはできませんでしたので、4人が市内の旅館に泊まりましたが素泊まりのはずが毎朝赤飯を出してくれたようで、根室は温かい所ですね!と言った学生の一言も印象的でした。

息子の思惑通り根室の良さは少しは分かってもらえたと思いますが、将来、根室に来てくれるかについてはなんとも言えません。

少なくとも、市立病院が病院経営に関して若い医師や医療従事者が働いてみたいと思うようなビジョンやプランを持っていなければ根室に目を向けてくれる確率は相当低くなるものと思います。

たまたま、今回は、息子の繋がりでこの様な機会に巡り会えたわけですが、医師をはじめ医療従事者の確保対策が非常に困難な状況ですから、サークル活動やゼミの合宿などを誘致するのも一つの方法ですね。

しかし、受け入れにはボランティアが必要ですので、これらの事も含め、そろそろ、新病院を見据え、市民ができるボランティア活動について、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

9日12:30には、ビザなし交流青少年国後島訪問団、四島からの長期日本語習得研修第二陣10名の出迎えに根室港へ行ってきました。

青少年交流は根室管内も含む道内の中学生と教員が中心で、皆さん元気にもどってきました。随行の方々から話を聞くことができましたが、今回の交流会は近年ない盛り上がりで、交流会の終わりや桟橋での別れに涙ぐむ子供たちが多かったようです。

島の子供たちを含め今の若い世代の子供たちの考え方、交流を通して感じた思い等もしっかりと押さえていかなければならないのではないでしょうか。

長期日本語研修の皆さんは9月上旬まで札幌市で日本語の研修を受けます。今回のメンバーには昨年、一昨年とビザなしサポーターズたんぽぽの交流会でお会いした方々がおり、挨拶程度ですが、通訳なしでもやり取りができます。

9月に根室に戻ってくるときには、相当会話ができるようになっているものと思います。

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10日、11日は金刀比羅神社例大祭  Twitterを利用してお祭りを盛り上げようとマルチメディア協議会のメンバーや息子達に呼びかけるも、私自身がほとんどつぶやかず反省しています。

唯一私ができたのは、10日、11日の写真アルバムぐらいです。

Twitter は、私の感覚とはかなり違いますので難しいです。 つぶやき方を考えてみたいと思います。

13日9:00 自由訪問の第3陣水晶島・秋勇留島訪問団員の見送りに根室港へ行ってきました。

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※台風一過 快晴でした。

四島交流、自由訪問には市立病院の医師が交代で同行していますが、先生方のご負担を考えると他の医療機関や大学病院等の応援も考えていかなければならない時期にきているのかもしれません。

返還運動原点の地の医療機関としてこれまで厳しい診療体制の中でも、先生方のご理解とご協力のもと続けてきているわけですが、当直明けの医師がそのまま同船したり、下船後午後診療に当たられたりと厳しい状況にあることは事実です。

しかし、根室市は、四島拠点病院としての位置付けを国に求めているわけですから、簡単には、現状の役割を他に委ねることは難しいのかもしれません。

先生方のご負担を考えると、応援体制についても考えていかなければなりませんし、四島拠点病院としてどの様な機能・役割を担い、それを果たすための体制をどうすべきかについても考えていかなければならないものと思います。

15日 12:00 根室市戦没者慰霊祭に出席

16日 自由訪問団第3陣の出迎えに根室港へ行ってきました。

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