平成26年度第5回自由訪問団に参加
8月6日から2泊3日の日程で自由訪問団に参加させていただき、義母のふるさと歯舞群島志発島へ行ってきました。
訪問団員は男性22名、女性25名、同行者11名の58名。
訪問団員の構成は、元島民20名、元島民配偶者4名、2世15名、2世配偶者2名、3世6名です。
最高齢は89歳、元島民の平均年齢は77.4歳です。
今回は義母84歳のふるさと相泊が訪問地ということで、義母、島民2世の妻と共に応募し、参加させていただきました。
8月6日午前9時四島交流専用船「えとりかに」乗船、根室港を出港。入域手続きのため国後島古釜布へ向かい手続き終了後、志発島へ。志発島西浦泊沖に到着、投錨。(16:40)。
8月7日雨模様の中「えとぴりか2」で3班に分れ上陸開始(6:45)。7:40には同行者を含め58名全員が志発島に上陸。直ちに、西浦泊墓地にて墓参を行いました。
墓参終了、西前班、相泊班、西浦泊班の3班に別れふるさとの散策へ。私たちは「えとぴりか2」で相泊へ移動。日魯缶詰工場のあった海岸付近に上陸し、義母の生家があった相泊崎方面へ向かい往復約3Kmの海岸線を散策。
2011年もこの地区の自由訪問があり妻と義母の生家の場所を確認してましたので、位置関係はわかっていましたが、この3年間で海岸線がかなり侵食されてしまい、、歩きづらく、84歳の義母が生家跡まで行けるか心配でしたが、なんとか、一緒にたどり着くことができました。
3時間程の滞在、2m近い植物(イタドリ?)が丘陵をおおっており、海岸線の岩場、砂地の所以外はまったく散策できませんでした。2011年は6月はじめでしたので、まだ野草の背丈も高くなく、島の内部へ入ることができました、今回は無理でした。
3年前に撮った写真と比較するとこんな感じです。
左が2011年、右が今回の写真です。
天候も違い、撮影場所も違いますが、なるべく近い所の写真で比較してみました。潮位の関係も若干はあるかもしれませんが、海岸線がかなり狭くなっています。
↑下段の写真は、日魯缶詰工場跡地付近ですが、海に浮かんでいた機械等の残骸も殆ど見えなくなっていました。
↓ この写真ま同様。
↓○でかこった部分が相泊崎。 2011年は6月イタドリの背丈も低く見通しがよかったのですが
↑この地区で一番高いところ。上陸する際にも目標にしたところ。前回の写真ではトウチカの様にも見えました。
↓四島交流専用船ができたことで、上陸も楽になりました。前回までは、2回乗り換えが必要で、上陸用の船は小さく、一度に上陸できる人数が少なく、乗り降りする足場も不安定でしたが、「えとぴりか2」では84才の義母をはじめ全員が安全に乗り降りできました。(高齢の元島民の皆さんはどちらにしても大変だと思いますが)
↑入域の手続きのために投錨する古釜布港。大きな建物が増え、益々カラフルになっていました。この写真ではわかり図らいのですが...
2泊3日の全スケジュールを終え無事根室港に戻りました。
義母はこれが最後の訪問と言っておりました。また、同様のお話を複数名の元島民の方からもお聞きしました。
元島民の皆さんの「ふるさと訪問」として1999年から実施されている事業ですが、参加できる元島民は年々減少しています。2世3世が同行し、ふるさとの島の様子等を覚え、たすきを繋ぐ作業が重要です。
船は立派になり、移動中の生活は快適になりますたが、島は、特に歯舞群島は、人が住んでいませんので荒れ放題、海岸線の侵食も進み、高齢の元島民は歩くのも大変な状況になっています。
今回の訪問でも、同じ班に義母と同年代方が数名おりましたが、途中で散策を諦めておりました。
元島民と何度か同行している2世がいますので、2世や3世だけで来られた方の生家跡もある程度はみつけることができていまが、これからのことを考えれば、GPS等を使い生家跡の位地を特定するような作業もできるといいのですが、残念ながら、現行ルールでは、GPSの持込が認められていません。
自由訪問は、島での墓参や散策がメインですが、事業全体の時間を有意義に活かし、久しぶりに再会した元島民が島の思い出話に花を咲かせ、それを、2世、3世が一緒に聞き、一つになること、その繋がりを継続していくこと、更には、返還運動にも参加していただき、その輪を広げ、中心的な役割を担っていただく等々後継者育成にも重要な事業であると思っております。
以上、報告とします。
コメント